電車を降りると、空気がひやりとまとわりついた。地下だからかとも思えたが、それにしても酷く寒い。アースティンは白い息を吐き出しながら言った。

「ブルークイーンが作動しているね。さぁ、行こうか」

来た時と似たような鉄の扉を、アルルカンのパスで通り、七人は研究所に入った。
室内は暗かった。しかしそれでも、ぼんやりと足もとを電灯が灯しているので、中の様子は大まかにだが分かった。
記憶をなくしているヴィンセント達に案内など出来るはずもなく、全員はしばらく彷徨う羽目になったのだが、中にはヴィンセント達がロックを解こうとしても解けない扉もあり、さらに遠回りさせられていた。

「おかしい・・・・」

アースティンはヴィンセントが触っても動かない扉を叩いて、首をかしげた。
「ヴィンセント君達が触っても動かないだなんて。ブルークイーンの中央制御室にすら入れる君たちに、そんな扉はないはずだ」 彼とアルルカンとライルは顔を見合わせた。

「あんたら結構権限あったんだな?高給取りだったりして」
「でもこれが終わったら会社辞めたいな。またいつ記憶を消されるかわかったもんじゃない」

ふざけてないで、とアースティンは窘めた。気分は保父さんだ。

「まいったな、この調子でメインコンピュータへの通路までふさがれてたら・・・」
「正確にいうと、扉を動かすための電源自体が落とされているんです」

ヴィンセントがつぶやいた。それに触発されるように、アルルカンも手を打つ。

「あぁ、そうそう。緊急事例180の規定によって、感染の恐れのある区画は閉鎖し、ガスの噴霧と共に冷却して・・・・して、どうするんだったかな」

隊員たちは絶句して彼らをみた。

「思いだしたのかい?」

アースティンに問われても、二人は首を縦には振れなかった。

「さぁ・・・・どこかで聞いたことがある位にしか」

ロゼットは不穏な単語に眉をひそめる。

「緊急事例180ってなんなの?感染とか」

二人が肩をすくめた。そこまでは思い出せなかったらしい。しかしアースティンは分かったぞ、と言った。全員に向き直って説明する。

「緊急事例は低い方から危険度が増していく。180はトップツーの危険度、バイオハザード(生物災害)だよ。ブルークイーンが壊れたわけでなかったら、おそらくレベル4のウィルス感染が、研究所内で起こったんだ」
「ひゃー、私たち防護服とか着てませんよ?」
「空気中なんかに漏れたウィルス自体はおそらくブルークイーンが駆逐しているよ・・・社員ごとね」

ヴィンセントは手をあげて言った。

「原因がわかったのなら、このまま帰りませんか?」
「それができれば、僕らも楽なんだがね。ブルークイーンのハードがどれだけ価値があるか知っているかい?・・・いや、覚えているかい?」
「いいえ」
「それ一つで小さな国が買えちゃうんだよ」
「うっひゃー、でもそれってチョコレートバーどれくらい?」

そう聞いたライルの後頭部を、レインは銃の柄で殴った。

「おとなしくしていろ」
「手錠はめてるんだぜ?」
「なんなら足にも付けてやる」

喧騒を背に、アルルカンはアースティンを見た。

「さっき、180がトップツーとか言ったよな?一番ヤバいのってなんなわけ?」
「言っただろう。緊急事例181、機密保持さ。なんらかの事態が起きて、ここの秘密が外部に流出する事態になった場合は、ブルークイーンの自壊も含めて、研究所を完全に封鎖する」
「国家が買える機械も、優秀な社員も生贄にして、ね。やっぱり終わったら転職しよっかな」
「その時は一緒に求人広告を探しに行こうか」 アースティンもやれやれとつぶやいた。


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徐々に息の白さも色を濃くするかのよう。彼は壁を覆った霜を指でなぞって、冷凍庫みたいだと呟いた。

「そう、空調というよりは冷凍庫だよ。ブルークイーンは氷点下百五十度まで室温を下げる事ができるんだ」

ライルが、通路に面していた白い壁のようなものをまじまじと見て、尋ねた。

「なぁ、じゃあこれガラスだよな。内側からびっしり霜が覆ってて中がまったくわからねぇけど」


【ゴンゴン】


ライルは窓ガラスを少し強めに叩いた。

「無駄だよ、室内のガラスはほとんど強化ガラスだから、素手では壊れない」
「いや、これで少しでも霜が落ちねぇかなと思って・・・・・」


【ズルリ】

ライルの傍で、霜が突然こそぎ落ちた。

「うわっ!」

それをみたライルは叫んで飛び退いた。

「どうかしましたか?」
「ひ、人が」

アースティンがいち早く窓ガラスに近づいた。
霜は当然ライルが叩いたから取れたわけではなかった。霜のついたガラスにへばりつくようにしてよりかかっていた人間が、その衝撃で倒れるのに巻き込まれて落ちたのだ。

「研究員だね」

もう死んでる。といったアースティンの後ろで、ライルはじっとそれを見た。それに気付いた彼は、こっそり彼に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「あぁ・・・・全然平気」

ライルは彼を見て、小声で言った。

「シアリスって知ってる?」
「シア・・・・なんですかそれは?」
「いや、知らないならいいんだ」
「何を話している」

レインが構えた銃を突き付けて、二人を脅した。

「ちょっとした会話くらいいいじゃん、レインちゃん〜」
「やかましい。お前は拘束中の身であることを忘れるな」
「はいはい、じゃあ早く次行こうぜ。こんなとこさっさと出たいしな」

全員が歩み出す。彼はふと違和感を感じて、ライルの横顔をしばらく注視したが。その緊迫感のない表情に、違和感はすぐに霧散してしまった。

通路から誰もいなくなると、霜が取れたガラス壁のなかで、凍りついた手がガリと壁をかじった。


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記憶が戻ってきているのだろうか。おぼろげながら、彼やアルルカンが勘で選んだ道に進むと、開かない扉に引っかかる確率は減っていった。
しかし隊員たちはまだしも、ただのスーツや私服のライル達はさすがに寒さが身にしみた。そろそろ辛くなってきたころ、開けた倉庫のような場所にでる。

「ここです」

ヴェルドはパソコンの液晶を確認すると、そう言った。
つまれた木箱や段ボールにまぎれるようにしてある白い扉は、やはり電動式で、他の扉よりもやや小さめだった。

「ここからサブコントロール室に入ったあと、ブルークイーンルームに入れるはずです」
「でも部外者は流石に入れられないな」

アースティンはライルを見る。

「え〜ここまで来た仲だろ、とかいいつつ入りたくもないから留守番しておくけどさ」
「見張りは要らないとおもうけれど、一応レイン君はライル君とアルルカン君と一緒にここにいて。僕等が行ってくるよ」
「やった、俺もおいてけぼり?」

アルルカンは喜んだ。

「中は狭いんだよ」

白い扉は問題なく開いた。中は外の極寒が嘘のように温かい。

「精密機械に霜がはったら困りますから。ここからは完全に温度が調節されています」

ヴェルドはパソコンをサブコントロール室のコンピュータとつなげた。猛烈な速度でキーを打ち始める。

「ブルークイーンは封鎖状態ですので、ここからは彼女との戦いです」

部屋に入り口以外に唯一あった扉を、アースティンは開けようとしたが動かなかった。

「なるほどね、ひきこもりたいお年頃なわけだ」

ヴィンセントは今度は先ほどとはまた違った違和感を感じて首をかしげた。なにか、矛盾したような、奥歯にものが詰まったようなもどかしさがある。
ヴェルドはなかなかぱっとしないが、やればできる男だったらしい。十分ほどで、ディスプレイから顔をあげた。
「これで、全ての防御装置の電源は落としました。開きますよ」

ヴェルドがエンターキーを押すと、扉がゆっくりと開いた。そこには十メートルほどの青い通路が伸びていた。無機質だが、いっそ芸術的ですらあるそれを見て、ヴェルドが笑う。

「防御システムを解除しておかなくちゃ、レーザーが四方から出てきますからね」
「・・・・ちゃんと解いただろうね?」
「もちろんです」

そういった彼の後ろで、監視カメラがぐるりと回転して彼らを見つめた事に、誰も気づかなかった。
通路は一人ずつしか通れないほど狭かったので、一行はアースティンを先頭にロゼット、彼、ヴェルドの順で入る事になった。ヴェルドの不穏な発言のおかげで、メンバーは内心冷や汗ものである。
二番手のロゼットは狭い室内をみわたした。キラキラと光りを反射する壁は幻想的だ。

「でも、こうしてみる分には綺麗・・・・」
【ガシャン】
「っ!」
彼の前で扉は突然しまった。彼とヴェルドは顔を見合わせる。

「これって・・・」
「あれですよね」

ヴェルドがパソコンに飛びつく。彼は閉まった扉を必死でこじ開けようとした。
扉の中からひょえー!と可愛いやら情けないやらといった悲鳴が聞こえる。

「どうしました!?」
「光線が、レーザーが!!線状にビーってこっちに向かってくるのぉ!!」
「よけられませんか!」

ごとんがたんと物音がして、アースティンの声がした。

「なんとか避けたよ」
「きゃー!今度は網目じゃない」
「やー、これはサイコロだねぇ」

彼はヴェルドを振り返った。

「まだできませんか?」

しかしヴェルドは手を止めて、うーんと唸った。

「隊長はともかく、ロゼットさんに怖い思いをさせるのは不本意だもんな」

彼はエンターキーを押した。扉が開き、二人が転がり出る。

「た、助かった?」
「ヴェルド君〜」
「僕は対人用プログラムは全部解きましたって。どっかの阿呆じゃないんですから、抜かりはありませんよ」
そう言うと、ヴェルドは二人の横を通り過ぎて通路の中に入った。そこにはまるで鉄格子のように組んだ青いレーザーが嫌な速度でこちらに向かって進んでくる。

「ヴェルド君!!」

ロゼットが叫ぶと同時に、彼はレーザーに手をかざした。
レーザーは、彼の手を明るく照らしただけだった。

「レーザーポインターに毛が生えた程度です。ブルークイーンは案外性格が悪いですね」
「どうした!?」

そこにレインが踏み込んでくる。レインは、脱力して座り込んだ三人をみて、少しだけ困った顔をした。


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お前らだけではやはり心配だ、とレインも含めて、青い通路を抜けた一向は、薄暗い丸い部屋に出た。中央に人の腰辺りの高さの黒い円柱がある。
アースティンがそれを指して言う。

「あれがブルークイーンのハードさ」
「あんなに大きいんですか?」
「いえ、ハード自体はこのくらいです」

ヴェルドは両手を四十センチくらい離して見せた。
その時、部屋がぼんやりと明るくなった。黒い円柱が光を発しているのだ。光は徐々に収束していき、立体映像が円柱の上に形作られる。それは長い赤毛を二つに結わえた、若い女の姿だった。
女・・・ブルークイーンはにっこりほほ笑んで手を振った。

『いらっしゃいませー、七名様ご案内〜』
「君がブルークイーン?」

アースティンが尋ねると、ブルークイーンは舌を鳴らして、指を振った。
『ラファエルってよんでくれません?そっちの名前は事務的で嫌いです』

もうちょっと“引き籠って”いたかったのに、なんですか。とラファエルは口を尖らせた。えらく情緒的な人工知能である。
「わかった、ラファエル。今回起きた事態の報告を願おう」
『緊急事例180により、研究所の居住セクターを全封鎖。大気の浄化も終了いたしました。以上!ねぇねぇそれよりも、ヴィンセントさん〜』

突如名前を呼ばれた彼は驚いた。

「私ですか?」
『そうそう。あ、今は記憶を失ってるんでしっけ?すいません、規定だったから止むをえず〜』
「私を知っているんですか?」
『いやーん、あんなに仲がよかったのに!』

立体映像の女はくねくねとみもだえた。アースティンが話を聞きたまえ、とラファエルを注意する。

「緊急事例の際のプログラムにしたがったのなら、報告義務があったはずだよ。それを怠った上に、本社のメインコンピュータとも接続をきってしまうだなんて、本社は君のプログラムに異常があると思っている」
『私はおかしくないです。おかしいのは貴方たち。優先事項のページを必死でめくって身の振り方を考えたんですからね』
「優先事項?言っている事がよく分からないよ」
『だって、漏れたのはジェノバウィルス。貴方たち、感染者がリユニオン個体になった場合の状況を考えて、プログラムを制作していなかったでしょう。私以外の人工知能じゃ、きっと最悪の事態を引き起こしていたわ』

彼は先ほどサブコントロール室で感じた違和感に気づいた。

「そうか、大気中のウィルスを駆逐したのに、なんでまだ居住セクターの閉鎖が必要だったんだ・・・・」
「そう言えばそうよね」

冷却を続けるのも無駄な電力を消費するだろう。アースティンは説明を求める、とラファエルを見た。
ラファエルは器用に肩をすくめる。

『知ってると思いますけど、私にプログラムされている最優先事項は機密保持。その次は人命の尊重。リユニオン個体になった人間を外部に流出させる事は、そのどちらにも抵触する可能性が高いと判断したんです』
「ジェノバウィルスの感染者がリユニオン個体だといったね。リユニオン個体とはなんだい?」
『神羅が軍事用に研究していたジャンルです。ウィルスに感染すると、高い身体能力と生命力に恵まれます。しかし同時に思考力が麻痺し、強力な感染源となります』
噛まれたり、ひっかかれたりするだけで、感染は広がります。とラファエルは事務的に説明した。

『それとリユニオン個体全てに共通する意識は一つ、感染していない人間に襲いかかり感染を広げる事です』
「ぞっとしないな」
『だから、私の電源を落としてしまおうだなんて思わないで下さいね。私の電源を落とせば緊急マニュアルにしたがいロックが全て開くので、せっかく閉じ込めたリユニオン個体が・・・・』

「おいっ!」

突如、入口からアルルカンが飛び出してきた。その時一番入口に近かったのはヴィンセントで、運悪くぶつかった彼はバランスを保てずにその場に転倒した。その時、手元にあったものを反射的に掴みながら。


【ブツン】


『あちゃー』

彼の手には円柱にささっていた電源ケーブルがあった。

「「「・・・・・・・」」」

全員が沈黙する中。ラファエルはこれ言った方がいいのかなーと悩んでいたが、とりあえず言った。
『あなたたちは此処で死んじゃうかもしれません・・・・・でもヴィンセントさん。早めにケーブルをつないで下さいね』

彼は慌ててつなぎ直すも、立体映像は消え、室内に暗闇が戻った。暗闇で彼はアルルカンに聞いた。

「その・・・・おいってなんだったんですか?」
「ライルが消えてさ・・・・なんかそれどころじゃないみたいだな」

そのまま待つこと数十秒。照明だけ戻るとまたラファエルの声がする。

『コンピュータのコンセントでこういう事やっちゃ駄目ですよ。ということで、皆さん改めましてこんにちわ』

円柱に女性の像のかわりに、タイマーが映った。六十分と表示されたそれは、徐々に数を減らしていく。

『えっと、緊急プログラムに従い、全ての施設のロックが解除されました。それと私がこの緊急事例に作った即興の防衛プログラムも作動しました』
「それって何?」
『私が何らかの拍子に、施設のロックを維持できなくなった場合、施設の入口・・・・つまり皆さんが入ってきた扉を完全封鎖します。今コンマゼロ三秒でそのシステムにハックし、一時間だけプログラムの実行を阻止できました』
「つまりその間に逃げ出せと?」

ここまで到達するのに三時間はかかったはずである。全員の間に絶望的な雰囲気がスピーディーにいきわたった。 しかし声は拗ねたように言う。

『本当なら最優先と次点優先事項が私に制約をかけているので、即刻扉をロックするはずなんですよ?でも、私ヴィンセントさんが好きですから』

がんばっちゃいました。と声ははにかんだ。
彼は少し胸が痛んだ。

「すみません・・・・あなたの事を、私はまだ思い出せていない。
『私が忘れさせたんですもの、イーブンです』
「あなたのハードをここから持ち出す事はできますか?」
『私がここで機能を停止したら、誰が防衛プログラムをジャマーするんですか。ほら、早く行って下さい』
「そうだよ、ヴィンセント君。早くいかなくちゃ」

アースティンは、自分の腕に巻いていた時計のタイマーをセットした。

『道順は私がアナウンスします。監視カメラでモニターしますから、一番リユニオン個体が少ない場所を指示します』

全員は急いで部屋を抜け出した。しかし彼は最後にコントロールルームを振り返って言った。

「迎えに来ます。必ず・・・・約束します。これだけは何があっても忘れません」

ラファエルは一瞬言葉を探すように黙ったが、やがて明るい声でありがとうとだけ返した。


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